働き方改革という言葉が広まり、社会全体が「働き方を選べる時代」へと進んでいるように見えた頃、私は特別養護老人ホームで働いていました。 しかし、現場の実情はその理想とは大きくかけ離れ、人手不足と緊張感の中で心も体もすり減っていく毎日でした。
そんな状況の中で、私が50歳を目前に退職を選んだ理由はただひとつ。
――自分と家族を守ろうと決めたからです。
コロナ禍で働き方の限界を痛感し、「このままでは大切なものを守れない」と強く感じたことが、私の人生の舵を切るきっかけになりました。
この記事では、介護現場で働き方の限界を感じた私が、50歳を目前に退職を決意するまでの葛藤と気づきを振り返ります。
退職前の私が抱えていた働き方の悩み
人手不足が当たり前だった介護現場
働き方改革が叫ばれていた頃、私は特別養護老人ホームで働いていました。 慢性的な人手不足は当たり前で、混乱の中を走り抜けるような毎日。 人が足りないことに慣れてしまい、「混乱」が日常になっていく恐ろしさを感じていました。
感情を失っていくような働き方
周囲の愚痴や不満に心を削られないよう、眼鏡・マスク・耳栓で自分を守りながら働く日々。 「子どもたちを育てなければ」という思いだけが、私を前へ押し出していました。
給与を得るためだけに働く毎日。 それでも、あの過酷な日々で培った“動じない強さ”は、今となっては私の大切な財産です。
働き方改革を前に感じていた違和感
選べるはずの働き方が選べない現実
厚生労働省が掲げる「働き方を自分で選ぶ」という言葉は、現場にいる私には遠いものでした。 職場の状況に合わせて自分をすり減らしていく毎日。 心のどこかで、ずっと違和感を抱えていました。
コロナ禍で突きつけられた“働き方の限界”
見えない敵と向き合いながら、高齢者も家族も守らなければならない。 職員の不安をなだめながら働くうちに、「このままでは自分が壊れる」と感じ始めました。
この頃から、私は「これからの人生をどう生きたいのか」を真剣に考えるようになりました。
「働く」と「仕事」を紐解いたときに見えたもの
ある日ふと、「働く」と「仕事」という言葉の意味を考えたことがあります。
働く=人が動く 仕事=事に仕える
この違いに気づいたとき、胸の奥がスッと軽くなりました。
働くとは、自分がどう動くかを決めること。 一方で仕事とは、誰かに仕えて事をなすこと。
私はその瞬間、はっきりと気づいたのです。
――私は“誰かに仕えて事をなす”タイプではない。 自分の意思で動き、自分の力で働きたい人間なのだ、と。
働き方改革とは、制度の問題ではなく、 「自分がどう動きたいのか」を決めることなのだと腑に落ちました。
この気づきは、私の背中をそっと押してくれました。
50歳を前に退職を決意した理由
フリーランスという働き方への憧れ
自由な働き方に惹かれ、在宅ワークやフリーランスの世界を覗いてみました。 しかし、そこは“スキルと実績”がすべての厳しい場所でした。
クラウドワークスやランサーズを見ても、未経験の私が戦える案件はほとんどありません。
自由を手にするには「手に職」が必要だった
自由な働き方は、確かな技術があって初めて成立する。 その現実を知ったとき、私はようやく気づきました。
――まずは、自分の力をつけなければならない。
退職を決意したのは、逃げたいからではなく、 “自分と家族を守るために、働き方を変えよう”と決めたからでした。
今振り返って思うこと
働き方を変える前に、価値観を見つめ直す
働く場所を変えても、雇用形態を変えても、 自分の中にある「働くことへの価値観」が変わらなければ、心の霧は晴れないのかもしれません。
小さな問いかけが未来を変えていく
「どんな朝を迎えたい」 「どんなことに心がワクワクする」
そんな小さな問いを自分に投げかけながら、丁寧に暮らしを整えています。
働き方改革とは、誰かが与えてくれるものではなく、 自分の心に新しい風を吹き込み、未来を自由に描き直すための“自分自身の改革”なのだと感じています。
これからの人生をどう彩るかは、自分次第。 小さな一歩でも、確かに前へ進んでいると感じられる今が、とても心地よいです。


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